Thoughts on agriculture思い描く未来の農業
農家としても人間としてもまだまだ未熟な私には、
「日本の未来の農業はこうあるべきだ」みたいな、分かったようなことはとても言えません。
でも、「自分はこんな農家でありたい」という姿は、しっかり心に決めて前に進みたい。
1800年代後半。
エジソンが電気を発明した時期と時を同じくして、日土町でみかん栽培が始まりました。
まだまだ動力の多くを人が担っていたその時代、
山を切り開き、広大な園地を歩いて移動し、収穫したみかんを運ぶにも大変な苦労……。
想像を絶する苦労がそこにはあったのだと感じずにはいられません。
私が感じている一年の苦労とは、比べてみればちっぽけなのかもしれない。
便利で効率的な農機具に囲まれた今の世界を、当時の人々は想像できたでしょうか?
きっと、彼らはそんな未来の空想よりも、目の前のひとつひとつの作業、一日一日を精一杯に生きていた。
工夫に工夫を重ね、愚直過ぎるほどにまっすぐに、ただただ「美味しいみかん」を作ることに没頭し、
仕事に、食べてくれる人に、まっすぐに向き合った。
いかに便利で効率の良い時代になっても、
無くしてはいけないことがたくさんある。
そういう意味では、
私の想い描く「未来の農業」とは、
「過去の農業」なのかもしれません。
園地を拡大する努力よりもまず、
目の前の一本の木にもっと時間と愛情を。
新規顧客獲得の努力よりもまず、
既存のお客様に
もっと満足してもらえる工夫を。
簡単に世界中と
繋がることができるからこそ、
一人ひとりとの繋がりを大切に。
簡単に思える仕事こそ、丁寧に、確実に。
私の思い描く未来の農業は、
どこまでも泥臭く、
非未来的です。
どこまでも泥臭く、
非未来的です。